トランスパーソナル心理学

●1960年代末に起こってきた心理学/心理療法の潮流…アブラハム・マズロー「心理学の第四勢力」

●人間性心理学の発展形…自己実現だけでなく「自己超越」までを射程に収める心理学

●アメリカ社会のポストモダン化の流れの中から出現した学派であり、欧米社会の近代化過程の中から出現した超心理学とは歴史的背景が異なります。

自己超越=「個を超える」ということ

トランスパーソナルで言う「個」とはいわゆる「自我」(わたし)のことを指します。

自我意識に限定された「わたし」を超えるさまざまな意識の体験を総括して「トランスパーソナル」と呼びます。例「宇宙意識」「至高体験」「神秘体験」「宗教的回心(神などを信じるようになること)」等

自己やアイデンティティの感覚が、個人的なものを超えて、人類、生命、精神、宇宙のより広い諸側面を含むものへと広がる体験

トランスパーソナル心理学の研究

何らかの技法、例えば心理療法、瞑想、身体技法などを実践します。(瞑想太極拳など)

個別の実践における探求の成果を,普遍的合意にまで高めることを目標とします。

客観性と実証主義にもとづく知(狭義の科学)という側面よりも、間主観性と経験主義に基づく知という側面のほうに重点を多きます。(この点が超心理学とは異なります。)

意識のスペクトル

日常的な状態では、意識は自我レベル、または仮面(ペルソナ)-影のレベルに同一化しているが、実存レベル、超個(トランスパーソナル)レベル、心(MIND)のレベルと下降していくにつれて、アイデンティティの感覚は広がって行きます。すなわち、アイデンティティは宇宙をも超えて時間をも超えるという感覚であり、仏教では超時空と表現します。

意識が超個的帯域(Transpersonal Band)に同一化している時、さまざまな超心理現象が発生すると言われる(超個的帯域では、意識が身体全体にまで広がった実存のレベルと、意識が宇宙全体に同一化している心のレベルとの間にあり、意識が個体を超えて広がっています。瞑想太極拳などの想念レベルでの体験など。

意識のスペクトル-意識の深化

実存のレベルと心のレベルの間に、もっとも神秘的で誤解されやすく、一般に恐怖や当惑をもって受け止められる未踏のスペクトルの領域が横たわっています。これが超個の帯域です。この領域に踏み込むことこそが意識の深化と、心のレベルへの道への始まりなのです。

この帯域は「魂の闇夜」として体験されることもあれば、阿弥陀如来の無量寿光(宇宙に存在する意識のネットワークであり人類の集合意識そのものです。プラトンのアニマ・ムンディ(宇宙魂)ユングの集合的無意識がこれに相当します。

ここで人は、菩薩や天使のヴィジョンと出会うこともあれば、無数のマーラ(釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる魔神)、すなわち元型(ユングの提唱)的な悪魔に囁きかけられる場合もあります。又逆に「内なる案内人」を発見したり、この識域に住む恐ろしい住人の手に落ちたりするのもここなのです。

又中には、アイデンティティが身体の外へと移行することもあります。

体は、すなわち身体である物質体(肉体)と、その生命を維持する生命体とも呼ばれるエーテル体で重層的に構成されています。エーテル体は、実体として捉えられた生命力でありオーラや気などと同一視されることもあります。

体は感覚を通して人間に色、形、香り、味、感触などを伝えます。

感覚から受け取られた世界は魂の中に表象として現われます。(般若心経=受)

魂内部の情動により表象は快・不快、共感、反感と結びついて経験されるのです。(想)

すなわち内的経験は身体の外にある、霊的な部分、アストラル体によって可能になるのです。 このアストラル体が唯識論などでは第九意識、又は純粋欲求、道教では無極などと表現されていますが、単純に魂と考えても良いでしょう。人間は魂に基づき動く、心、気、体と考えられます。

超個の帯域では、このアストラル領域にアイデンティティを連れ去られるここともあるでしょう。その時人はESP、透視、透聴といった超常現象が起こったり、「過去生」を再体験したり、未来の出来事に自らを投影したりするのもここなのです。この超個の帯域はこのように、あいまいな領域が存在する場所なのです。

超心理現象

LSD(幻覚剤)や気功導引法やヨガなどにある呼吸法ブリージング、又は瞑想太極拳などによって誘発される、宇宙との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴う編成意識状態を体験します。この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われています。

その体験は精神や肉体が極限まで追い込まれた状態、瞑想や薬物の使用などによってもたらされるとされています。

変性意識状態に接近する際、個人は、日常的な意識を支えている自我が一時的に死を向かえ、トランスパーソナルな領域へと参入する一連の「死と再生」のプロセスをたどります。

意識が超個的帯域(Transpersonal Band)に同一化している時、さまざまな超心理現象が発生すると言われています。超個的帯域では、意識が身体全体にまで広がった実存のレベルと、意識が宇宙全体に同一化している心のレベルとの間にあり、意識が個体を超えて広がっています。

トランスパーソナルな領域は、個体を超えて広がる一種の意識の場であり、時間・空間というカテゴリーを超越しています。

脳を超えて

ときに、遡行がさらに先まで進み、祖先の生活の記憶を再体験したり、民族的・集合的無意識にふれたという否定しがたい感覚を抱くこともあります。また、たまにLSDの被験者が進化の系統を遡り、人類の祖先のさまざまな動物と同一化する体験を報告したり、前世の出来事を再体験しているという強い感覚を抱くこともあります。

宗教的な修行の過程が進行するにつれて、仏教の六神通、修験道の験力などのように、遠隔視やテレパシー的な体験が生じる場合があることは広く知られています。

トランスパーソナル体験を病理に還元する近代精神医学のモデルを離れて、「異常-正常-超正常」として再編する必要があります。LSDやマリファナの一時体験による世界理解

時間も空間も、常識的には客観的な世界の側の属性として考えられているが、PSI現象やトランスパーソナル体験を視野に入れると、時間・空間はともに一定の意識状態の属性として考え直す必要があります。それは、意識レベルに応じて、体験される時間性・空間性は変容するのです。

心の概念を拡大する必要性

心は、個体を超えて、また「いま・ここ」という時間的・空間的制約を超えて広がっている一種のフィールドとして構想される必要があります。それを全情報として心と考えます。

コメントを残す