太極拳の瞑想訓練法

 この世界を作り出している太極の源の姿を太極拳の中で発見することは、全てのものがこの無極の精神で作り出せることを発見します。

日常のあらゆる事は、この無極から存在している太極が光のようにただ照らし、その陰が陰となり、日向が陽となって存在していることに気付きます。その動きが太極拳の中で表現されます。平たく言えば無極は愛の源です。太極は無条件の愛(母親の愛のようなもの)です。

陰陽はその陰が不安であり、日向は不安でないものすなわち愛です。その不安も愛も太極(光)から生まれたものであることを知ったとき、自らが光であり、その源である無極であることで、全ての世の中の現象は光あふれるものにいつも保つことができます。

又他人やその他のものもそうであると信じることができます。

それが太極拳の目指す、本来の自分(源である自分)発見です。そして、太極拳を行っているとき、その真実を全てと一体になって魂の底から感じることができます。

そして、その感覚を日常に生かしていきます。いつも歩いていても、仕事をしていても、その感覚を知ったものは、その感覚に従って行動できます。光り輝く世界を思い出したレベルです。

ここでの呼吸は意識しません。自律神経に任せます。気も意識しません。宇宙との一体の中で体と空気の境目のない気を感じながら動きます。全くの無意識の状態です。

 太極拳を演武していることと、地球や大気や雲の動き、木々の動きと全く同調します。自分で動いているような気がしないのも、この時です。

心身の疲れを取り除くために好きな音楽を聴きながら行うこともよし、又、願いや思いを実現させるために念じることもよし、太極拳が全く飲むから生まれた動きのような無意識の感覚で、願い続けることは必ず実現します。一日中願い続けることが出来るようになります。

毎日でも、実現するまで絶え間なく思い続ける練習を太極拳で行い、日常の様々な刺激も宇宙のリズムのように感じ、その中で全くの無極の状態で、ただ願いを思い続けることが出来ます。

その願いは太極による陰陽の理解の上に立った、願いであることが、太極拳の動きの中で共鳴感を覚え、違和感がない願いになります。すなわち、全てのものを生み出した無極から発生された、太極という光に沿った願いであることが、太極拳を行っているときに違和感を生まないのです。不安に基づいた願いは太極拳の動きには違和感があります。気持ちよく行えない願いは、もう一度太極意識で見つめ直してみることが必要です。

 素晴らしい願いは、太極拳を気持ちよく無意識で動かします。頭に思っていることが、本来の人間の無意識にある太極意識に沿っていれば、無極のエネルギー(何事にもとらわれない、ただ光り輝くエネルギー)で思いは行動と言葉、そして熱意や、様々な選択に率直に現れ実現されるのは、誰でも解ることです。

ここでの太極拳は心身の健康、エネルギーの充足、陰陽というこの社会の理解、この社会、そして自分を構成している陰と陽を生み出している太極という光を思い出すこと。そしてその光は無から生まれていること。全く、何にもとらわれないで、ただ素直に、なりたい自分や望むことに光を当て続ける、そこには陰になる障害物がない、有れば、それを取り払うだけです。

いつも日向にあり、その望みはすくすくと育つ。この、本来の人間の姿を実感しながら、生き生きと生きていくための無極の状態を経験するのです。

これ以外に無いという自分を思い出すことが、太極拳で出来る最終段階です。

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