免罪符

免罪符
16世紀、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書を贖宥状(しょくゆうじょう)といい、免償符、贖宥符とも、日本においては「罪のゆるしを与える」などの意味でも使われ、責めや罪を免れるものや理由、行為そのものを指すこともあります。

さて、人間は本来罪を負っていると考えてしまうと、それを免罪されないと幸せになれない、成功しないなどと言われれば、その免罪を何かに求める事になるのは仕方が無いことです。

それが多くは宗教や、ボランティアなど、しっかりと免罪を約束されそうなものにその免罪を求めるのでしょう。

例えば、武当派太極拳の根本的な思想では、人間の本質は善でも無く悪でも無く、ただ単に無為で自然であると考えます。
道教やタオ(どちらも宗教であり、組織概念、偶像崇拝があるかないかだけの違いです。)の根本思想である、太極思想には無極という完全に無であることから、有が生まれ、無も現象下に置かれたと考えています。
完全なる無とは、有も無もない状態です。善も悪も無い世界。キリスト教ではエデンの園であり、そこにある生命の樹です。太極思想では道です。アダムとイブは陰と陽であり、知恵の樹の実を食べたところから、善悪の存在を知り、堕落していきます。
太極思想では、その善悪はいつも混沌と融合しており、分けることもできるが、離れることは無いという考えです。

このように、もともと、善悪は一体のものであるのだから、免罪することも無いと言うことであり、太極思想には免罪符なる概念がありません。人間の後天的性質が罪だと考えるなら、それは人間である限り、いつも本質的な善と一体であるということから、離れることはありません。

そこで、わたし自身の生まれた環境が、自らの愛情の飢餓を、権力や名誉、お金や自己顕示で代償していき、その代償のためには人の命や存在の尊厳をいとも簡単に奪っていく組織で生計を立て、人よりも贅沢に暮らし、快楽におぼれていた人物を長とする一族にありました。私の祖父ですが、祖父のことは今でも好きですが、祖父はいつも、神や仏に多くの寄付や、欠かさない催事に免罪を求めていました。神道や仏教に対する見識はとても広く、その知識は豊富でした。しかし、それらは全て自らの免罪符であり、それをしていれば、自らが行う卑劣な行為は免罪され、正当化される。そのようになるのです。

私は、祖父の関係もあり、祖父のような絶大な力を得た人に、多く巡り会いました。
必ずといって良いほど、また卑劣で、容赦の無い人ほど、その免罪符を強くもっています。

中国の人は道教やタオ。日本の人は神道。仏教。欧米の人はキリスト教。イスラムの人はイスラム教。

これらが免罪符として、その人に使われるとき、その思想は美しい衣となり、自らの醜い姿を隠すだけに過ぎません。
またその姿に惑わされ、その全ての行為も魅力あふれるもにになるかも知れません。

人は自らの内にいい知れない不安や、罪悪感を感じる時、またその感覚が自らの行いにあると自覚したとき、それを消し去ろうと、中和しようと何かを求めます。多くは宗教です。その宗教にどっぷりとつかり、自らの中和を求めます。

そのような人は、卑劣で、むごい行為をして絶大な力を得た人物が、免罪符を得ようとすれば、その免罪符を得ようとする行為の方を主として、その絶大な力を得たものと錯覚し、その行為を見ないようにしたり、また正当化、極端になると尊敬や崇拝をするのです。

中国や日本においても、裏社会に生きる多くの人間が、絶大な力を持った場合、その思想には必ずといって神道やタオが存在します。

政治家が、世界平和を免罪符にして、戦争を正当化するようなものです。

人は免罪符では救われません。キリストが十字架を背負ったように、人は人である限り、善と悪を併せ持ち、罪を侵し続け、また、無始無終に自然なのです。

いつも免罪符を追い求め、生きていくことが、もっとも不自然な辛い人生であることは、きっと本人にもわかっているはずです。
免罪符としてタオや、神道、仏教にすがり、いくらその思想を身につけても、アルコール中毒者が喉の渇きにアルコールを飲み続けても、いつまでたっても喉の渇きが癒えないのと同じです。

映画コンスタンティンのへネシー神父でも描かれています)

思想とは人の思想であるのです。宗教も全てそうです。ですから、全ての人間がその思想の種を持っているのです。これは当たり前のことです。何を言いたいかというと、自らの本質に宗教にあるような思想の原点は全てどころかそれ以上あります。
だから、免罪符など元々存在しないのです。それを早く気づき、本来の自分を主にして、それらの思想をただ観る、そして自在に扱うような境地を得れば、何もかもが思い通りに、また楽しく、心に曇りも無い清らかなこの瞬間を生き抜くことができます。

免罪符。そのようなものが真実に存在するのか。ぜひみなさんも考えてみてください。

花粉症

気持ちの良い気候なのに、やっかいなものが花粉症。現在日本では、ここ10年間での増加傾向は著しく、今後も増え続けると予想されています。なぜここまで、花粉症は増えているのでしょうか?

初めの花粉症はイギリス

近年、爆発的に増加し、現代病の代表とも言われる花粉症。その花粉症は、日本では春先に飛散するスギ・ヒノキを代表に、年間を通して様々な植物に対するアレルギー反応が話題となっています。そんな花粉症問題、他の国々でも発症しているのでしょうか?実は、調べてみると、世界三大花粉症といわれる代表的な花粉症があるようです。

まず1つめは、ヨーロッパの『イネ科花粉症』です。これは世界で最初に発見された花粉症で、今から約180年前のイギリスで、農夫が干し草を扱っているときに突然、くしゃみ、鼻水、眼の充血、ときには喘息のような症状を起こす人が出てきました。しかし当時は、花粉のアレルギーという考えはなく「枯れた草に触ったため」と思われ「枯草熱」と名づけられていました。そして後の1873年、本当の原因がイネ科の牧草の花粉であると立証されたのです。イギリスでは、このイネ科花粉症は、現在も人々を悩ませています。その主は、ヨーロッパ各地・家畜の肥料として欠かせないイネ科の牧草 カモガヤやオオアワガエリなどイネ科の草が原因となっています。日本でも、カモガヤの花粉症は4〜6月頃 に北海道と東北地方で見られます。これはお米をとるために作っているイネではなく、牧草や芝草 として日本へ導入された外来種が原因となっています。外来種は在来種に比べ、花粉飛散が多く、空き地や道ばたでも繁殖して広がっていきました。

2つめは、主に北アメリカの『ブタクサ花粉症』です。これは1900年頃から注目され始め、 アメリカやカナダでは、夏から秋のブタクサ花粉症で大勢の人が悩まされています。キク科の雑草で、河原や牧草地、道端などに繁殖します。日本でも、ブタクサ花粉症は9〜10月頃 見られます。ブタクサは「マッカーサーの置き土産」と呼ばれ、帰化植物として日本に入ってきた当初から多くの人が悩まされました。しかし土地開発による 空き地の激減 などで、花粉飛散数の増加もほとんどなくなり、発症率も低くなっているようです。

3つめは、日本の『 スギ花粉症』です。主に日本固有の植物・スギの花粉を原因とする、つまり 日本にしかない スギ花粉症も、やっぱり世界三大花粉症に入っていました。

1〜4月にかけて 猛威をふるい、日本における花粉症の 約8 割 の原因が「スギ」といわれています。

スギ・ヒノキ花粉が多い理由

日本特有の杉の花粉が多く飛散している原因は、戦後の高度成長期と大きな関わりがあったようです。大平洋戦争で荒れた日本の山の大部分は、林野庁奨励のもとにスギの植林が行われ、戦後の復興に大きく貢献をしました。さらに1960年以降、木材としての人気が高まったヒノキの植林も進みました。このように木材として利用するために大量に植林されたスギやヒノキですが、段々と安い輸入木材におされ、日本のスギ・ヒノキの人気が落ちてしまったことにより、林業に携わる貴重な人材が次々と減少し、スギ林の管理が行われずに枝が伸び放題、放置状態となっていきました。そんなスギの木は樹齢30〜40年ほどで成熟するので、戦後に植林されたほとんどがここ数十年で成熟期をむかえて大量の花粉を飛ばしているというわけです。同じくヒノキ花粉も、数倍に増えています。今、林野庁では樹齢30〜40年のものから優先的に伐採していますが、思うように進んでいないのが現状だそうです。

また、ただでさえ管理されずに茂っているスギやヒノキが大量にある上に、都会では当たり前となっている舗装道路も、花粉が大量に飛び交う一因となっています。もし花粉が湿ってデコボコした土に落ちれば、再び舞い上がりにくいですが、アスファルトでは、一度落下しても 風や上昇気流でまた舞い上がってしまいます 。すると空気中に飛んでいる時間が長くなり、その分人に吸われる機会も多くなるのは当然のことといえるでしょう。

都会の方が花粉症になりやすい!?

スギの花粉は、都会よりも山の中のほうが大量に飛んでいるはずなのに、ビルの立ち並ぶ街中での方が発症率が高いのだそうです。これは、車の排気ガスなどの空気中の化学物質と花粉がなんらかの反応を起こし、そのことが花粉症の発症に影響しているのではないかといわれています。また、人間の鼻の粘膜や肺が、車の排気ガス等の化学物質で痛めつけられており、そこに花粉のアレルゲンが入り込むと、花粉症を起こすのに関わっているIgE抗体が体内で効率よくできてしまうことが確認されています。大気汚染は、花粉症発症に大変大きな影響を及ぼしているのです。

また、アレルギー症状は自律神経と深くかかわっているため、ストレスや疲労で自律神経の調節が乱れ体の免疫力が低下すると、花粉症の症状も出やすくなります。この免疫低下には、食生活も大きく関わってきます。戦後、日本人の食生活がどんどん欧米化し、動物性脂肪やたんぱく質中心の食生活へと変化してきました。肉などの たんぱく質 の摂取が多くなると、異物への反応が過敏になる=アレルギー体質になりやすいと考えられています。また、インスタントやスナック類、ファーストフード、保存食などが増え、 食品添加物 を小さい頃から摂り続けていることも、こうした体質変化の原因としてあげられています。

花粉症改善には、鼻呼吸を!

花粉症の発症の一因が大気汚染であることは前回のマガジンのとおりですが、実は、口呼吸も大変大きな原因となっていることが最近の研究で分かってきました。

スギ花粉のタンパク質、大気汚染、口呼吸の条件が複合することで、花粉症は起きるというわけです。

本来、哺乳類の呼吸器官は鼻で、口は食べ物の入り口です。しかし、しゃべることによって、鼻が繋がっている口でも呼吸することができるようになりました。

この口呼吸が無意識のうちに常習化しているのが、一番の問題なのです。

鼻から吸い込まれた空気は、鼻腔を通る間に空気中に漂う細菌やウイルスなどの有害物質が除去され適度に加湿加温されて、酸素が吸収されやすいかたちとなり、肺に送られます。

しかし、口で空気を吸った場合、冷えて乾燥した空気が、いきなり扁桃組織の温度を下げます。

すると、喉に存在する酸素を好む好気性菌が、扁桃の細胞から白血球に取り込まれて体じゅうにばらまかれ、さまざまな器官や組織の細胞を汚染して細胞内感染症を発症します。

その結果、感染した細胞内のミトコンドリアが働かなくなります。

そこにスギ花粉と大気汚染物質の複合体が抗原となってできる抗体との反応、すなわちアレルギー反応が、細胞内で炎症症状として起こる、これが花粉症なのです。実は、このミトコンドリアこそ、花粉症のような急性免疫病において最も重きを置くべき存在なのです。

人間の身体は、約60兆個の細胞から構成されています。

皮膚は数時間、骨なら数カ月で新しい細胞がつくり出され、常に新しい組織ができあがっているのです。

このように健康な身体を維持するための細胞の更新を「新陳代謝(リモデリング)」 といいます。

そして、その細胞の中で呼吸をし、エネルギーを製造しているのが、このミトコンドリアなのです。

つまり、「ミトコンドリア」が健常であることによって、 それが花粉症などの過剰反応を和らげる唯一の方法となるのです。

全ての急性免疫病において、この定義が当てはまります。

花粉症を和らげるには、つまり、口呼吸を鼻呼吸に矯正し、ミトコンドリアの働きを活性化しておくことです。

そうすると、花粉症のシーズンも、昼間の内はいくら外に出ていても,ミトコンドリアが活発ですので、ほとんど発症しません。家に帰ってから、衣服の花粉を落として、シャワーに入り、鼻うがいと、目洗いをしておくと、副交感神経が優位になりミトコンドリアの活動も沈静化する夜も、不思議なほど症状が出ません。

花粉症のシーズンが終わったら、来年に向けて、口呼吸の練習をお勧めします。日中の運動も大事です。ミトコンドリアを健全に強くしておくことが、花粉症の症状を軽減するひとつの方法です。

食生活と花粉症

食事対策は速効で花粉症に効果があるわけではないかもしれませんが、意識的に食について考えると自然と栄養バランスがとれた規則的な食生活になり、それに伴い免疫のバランスを保つことにも繋がっていきます。食品添加物が多く含まれているインスタント食品などは極力避け、甘いもの、冷たいもの、刺激物(辛いもの、アルコール、タバコ)なども控えたほうがよいとされています。また、肉・卵・乳製品なども摂取しすぎると花粉症になる確率が高くなると言われています。免疫を活発にさせ、花粉症に効果がある食事でお勧めのものは、身体が温まるような食事です。つまり、穀類や、豆類、芋類、生姜、ハチミツなど、昔から日本人が摂取してきたような食材を主に摂取するのがいいようです。

また、お茶でも最近は多数の茶葉が出回り、気軽に珍しい植物の抽出物が摂取できるようになり、その中でも花粉のアレルギー症状を緩和するようなお茶を紹介しましょう。

●甜茶(てんちゃ)

甜茶とは中国の甘いお茶で、木の葉から作られた甘いお茶の総称だそうです。

『甜』は『舌が甘い』と書きますから、その独特の味は名前にも表れています。古くからある薬草茶のひとつである甜茶は、中国では多くの幸せを願うものとして飲用されてきたようです。効能によって植物の原料が違う甜茶の中で、花粉症に効果のある原料は、バラ科植物からできた甜茶で、抗アレルギー有効成分が含まれています。その主成分は、甜茶ポリフェノール、ルブソシド、各種アミノ酸、カリウム、カルシウム、亜鉛、鉄などのミネラルが含まれており、その代表成分甜茶ポリフェノールが、アレルギーに有効な成分です。辛いアレルギーの症状を引き起こす原因であるヒスタミンの分泌を抑制する作用と、炎症を抑える作用があります。また甜茶は、解熱や咳止め効果もあるので、風邪の諸症状を抑えるために、古くから飲まれてきました。体を温めてくれて、胃腸にも優しく、食後の消化のお手伝いもしてくれるのです。

●グァバ茶(シジュウム茶)

グァバはシジュウムの和名で、シジュウムとはハーブとしての名前です。昔から漢方薬として用いられており、薬としての名前は『蕃石榴(バンザクロ、またはバンセキリュウ)』と呼ばれています。温帯から熱帯にかけて分布し、葉も果実も乾燥してお茶として飲まれており、グァバの果実は、熟すとほんのり赤く薄い甘みがあります。葉と果実でそれぞれ含まれている成分や効能が異なります。葉の主要成分は、クエン酸、シュウ酸、乳酸、リンゴ酸、ギ酸、ビタミンA、ビタミンC、タンニン、脂肪油、精油、揮発油、樹油、ビタミンB群、インスリン様成分や芳香族化合物。果実の主要成分は、多量のカロチンやビタミンC、カリウム、カルシウム、リン、鉄分などです。グァバ茶に含まれるグァバ葉ポリフェノールという成分は、糖を分解してブドウ糖にする酵素の働きを抑制し、血糖値上昇を抑え、糖尿病の予防に効果あると言われています。同じくポリフェノールの一種であるタンニンには、体の中の活性酸素を取り除いて血液をサラサラにする効果があります。そして、グァバ茶はアレルギー反応の原因であるヒスタミンやロイコトルエンを抑える効能もありますので、花粉症などのアレルギーに対する効果があると言われています。この花粉症を抑える成分は、葉を使ったグァバ茶に比べ、実を用いた方がより花粉症に対する効果が高くなっているそうです。その他の効能としては、アレルギー性鼻炎、アレルギー性皮膚炎、疲労回復、美肌効果、口内炎、高血圧、免疫力強化、抗酸化作用があるとされています。

●シソ茶

シソの葉は漢方生薬のひとつです。シソ(蘇葉)の名は葉が紫色で、香気がさわやかで食欲がすすみ、人を蘇らせることからつけられました。シソには防腐作用があり、さしみなど料理についているシソは、食中毒や魚毒を中和するのに有効です。また、シソの葉には気分を壮快にする働きがあるため、ストレスや初期の風邪には、煎じて飲むと効果があります。入浴剤として葉を袋に入れて湯船に入れると、体が暖まり、冷え性、肩こり、神経痛、リウマチによいとされています。最近では、花粉症を防ぐハーブとしてよく利用されるようになってきました。シソの葉や種に含まれるポリフェノールが、鼻づまりの原因となるロイコトリエンや、くしゃみや鼻水、目のかゆみを引き起こすヒスタミンの生成を抑えてくれるからです。さらに、シソには、体内に入るとEPAという物質に変化するαーリノレン酸が豊富に含まれています。EPAとは、免疫系を正常にする働きや、かゆみのもとにもなる炎症物質の生成を防ぐ作用があります。これらの効果は、青ジソよりも赤ジソの方が、また葉よりも種子エキスの方が高い傾向にあるそうです。

花粉症の症状を緩和する製油

下記に花粉症の症状緩和に効果があるオイルをご紹介したいと思います。

【ユーカリ】

抗菌性が強くて、鼻とかの粘膜の炎症を抑えてくれる効果があります。ユーカリには1.8シネオールという炎症を抑えてくれる成分が多く含まれています。ユーカリは感染症の治療に使われていたという話もあるように、現在ではのど飴や軟膏などの医薬品にも含まれているようです。

【ティートリー】

強い殺菌効果があり、免疫力を刺激してくれる作用が期待できるために花粉症の対策にもなると思います。香りはすっきりしているために使いやすいですが、苦手な人もいると思いますので試してみてから使ってみることをお勧めします。

日本を始め、世界の主要国でも問題になっている花粉症。大気汚染をはじめ化学物質が蔓延している現代社会に生きていれば、免疫バランスが崩れやすくなって当然のことといえます。アレルギーの原因は「免疫系」の乱れです。外から侵入しようとしたり、身体の中で生じた「異物」から「自己」を守ろうとする防衛システムが過剰に反応し「自己」そのものを誤って攻撃することでアレルギーは起こります。花粉やハウスダストなど原因となる異物はさまざま。しかし、免疫系が「異物」と「自己」をきちんと見分けられない限り、アレルギー体質は改善されません。だからこそ、より感受性をとぎすまして自分自身の心と体のバランスを見つめるように心がけることが大切なのでしょう。疲労をためない規則正しい生活、バランスのとれた食事、体を暖める、人間の自然な鼻呼吸、免疫系の働きを良くしてくれる植物を活用するなど、薬に頼らずに自分自身の免疫力を活発にしていくことが一番の花粉症対策です。

10年以上花粉症に悩まされている人も、鼻が詰まっているときには生理食塩水での鼻洗浄をしたり、家にいるときにもマスクをして多少の口呼吸をしても暖かい湿った酸素を体内に取り入れるようにしたり、時々鼻で意識的に深呼吸をしてみたりと、鼻呼吸を意識することと、夜は番茶にすりおろした生姜をいれた生姜茶を飲んで寝たり、昼間に適度な運動を心がけたりするようにしていつも体を暖めることを心がけ、体内のミトコンドリアを活発にするよう取り組み始めました。

また、免疫改善の手助けをしてくれる身近な植物も大活躍させています。特にエキナセアブレンドティーは、ちょっと寒気がしたり倦怠感を感じたときに飲むと、本当に体に良いものが染み渡っていくような感覚がして風邪のひき初めが回復していき、冬から春にかけてのこの時期、人気の高いお茶です。

 

 

 

 

 

 

 

生き生きとした純粋な快感

脳幹の周辺にある大脳辺縁系は、本能や感情と深く関係します。やる気などもここです。脳幹が活性すると、脳幹にある純粋意識がこの本能や感情に揺らぎを起こします。ここに生き生きとした純粋な快感が生まれます。

脳幹にあるDNAに薫習された情報、もっと深くにある、人間が存在した後もその前のビックバーンが始まった揺らぎからの情報も、あらゆるキーを解かれ開放されたとき、人間は万物と完全に一体化して生きることが出来ます。

一体ということは、空間も時間も全て自分と同じように感じるわけですから、予知能力などの能力も当たり前に有ります。

完全に無だったときから、揺らぎがおこり、その何かである情報と、その後原子や分子、無機、有機を経るあらゆる情報は、かたや土くれ、かたや人間となった今でも、深層の深層には同じ情報を共有しています。

太極拳や瞑想は人間の中にあるその情報に巡り会って、その感覚を思い出すためのとても優れたツールです。

横浜で放射性物質ストロンチウムを検出、横浜市内では初(ニューストピックス編集部) – livedoor ニュース

横浜で放射性物質ストロンチウムを検出、横浜市内では初(ニューストピックス編集部) – livedoor ニュース.

福島原発から180キロ圏内には長く住み続けない方がいいという学者が世界中では多い。

この放射性物質は特に白血病や骨肉腫などの、放射性物質によっておこる健康被害の代表的なもの原因になっている驚異です。

しかしながら、少量であれば放射性物質も健康に良い、又は癌を抑制するという考え方もあります。ホルミシス効果と呼ばれるもので、ラドンやラジウム温泉などがその例です。

しかし、WHOでは少量の放射線でも体に害を与えるとしています。

どうなのでしょうか?

太極思想では、陰と陽、すなわち相対性です。全て、このような問題は陰陽術、日本の昔では陰陽師と呼ばれるものが解決してきた問題です。

太極拳を極めていくと、このような現象問題も簡単に解決するようになります。

例を挙げてとても簡単に説明します。

放射線を重い荷物として考えます。体に負担がありますね。

免疫細胞はそれを持つ人と考えます。

体の弱い老人(弱い免疫細胞)が重い荷物(放射線)を山の上まで運び上げるとしたら、その老人の体は弱るだけです。すなわち免疫は弱り、これを毎日続けていくと、大事を迎えます。

体を鍛えた若者が(強い免疫細胞)が重い荷物(放射線)を山の上まで運び上げるとしたら、その若者の体はより鍛えられます。すなわち免疫は強まり、これを毎日続けるとしたら、屈強な免疫細胞になります。

このように重い荷物がより重くなったり、持つものが強くなったり弱くなったり、山の角度など多くの相対的要素によって、以上の現象の分岐点すなわちしきい値があるのです。

以上の相反する考え方に一辺倒することは全く愚かと言っていいでしょう。

どちらにもなり、どちらにもならない、すなわち全ては空(くう)なのです。

私たちがすることは、ただ自らの免疫力をすこぶる健康にしておき、あらゆる脅威を単なる負荷として、ホルミシス効果を得ることです。

そして、自分のしきい値などわからないのだから、できるだけ、そのような脅威から遠ざかることです。

放射性物質が上空を飛びまくっている現在、最も免疫力を脅かす、深層のストレス。人は健康に生きたい、人は愛されたいという根本的な普遍的欲求、すなわち本能の生存と存在の根本的欲求が満たされなければ、強いストレスが深層の深層に芽生えています。

早くそこにたどり着き、自らの立ち位置をその場所に戻すことです。

それ以外に、誰も不安がなく、おおらかに生きていく方法はないのです。

このように、自分の免疫を健康に屈強にしておく、それ以外に何か方法があるなど考えることは、単なる現象に囚われているに過ぎません。

問い合わせが殺到!うつ病「見える化」診断 光トポグラフィー検査ダイヤモンド・オンライン – エキサイトニュース

日本人が一生涯のうちに「うつ病」を患う確率は6~7%といわれている。欧米の有病率は15%前後であり、世の中に「うつ病」「うつ状態」という言葉が蔓延している割に発症頻度は低い。ただこのところ、一般内科で「気分がめいる」「眠れない」と訴え、うつ病と診断されるケースが増えているのは事実だ。 本来、うつ病をはじめとする気分障害は診断が難しく、精神科でも確定的な診断を下すまでには時間がかかる。しかも問診しか診断する術がないため、一過性の適応障害や、さらにやっかいな躁うつ病(双極性障害)、統合失調症と誤診する可能性もある。なんとか客観的にうつ病を診断する手段がないか、とたどり着いたのが「光トポグラフィー検査」だ。

引用元: 問い合わせが殺到!うつ病「見える化」診断 光トポグラフィー検査ダイヤモンド・オンライン – エキサイトニュース.

太極拳の外気功術で伝わる、頭推按(頭部への外気功)という技術は、いうなれば経験科学のようなものです。

既に、内丹仙術といわれる中国の伝統的な予防医学の分野で、頭部の経穴から、内部の脳の状態を見ることは当たり前に行われていました。

太極拳に伝わる、十三勢の内の四隅手(靠肘挒採)は、三節の原理(出発と経過と到達)、因縁果(原因と、プロセスと結果)の理に基づいた勢です。

採で測られた気は、その気を発している原因を知るという経験医学が、太極拳のような自己の内部を調整する内丹術と、相手の内部を調整する外丹術を発展させ、融合させていきました。

今回の記事の「光トポグラフィー検査」ような、科学で今明らかに証明されてきたことは、人間の潜在的な能力で、経験的に立証されてきたから、現在の内丹術や外丹術があり、そして頭推按の理合にもなっているのです。

頭推按では、頭部の経穴の状態からその人間の脳の内部の状態を測ります。その脳の状態は、もちろんこのようなうつ病などの心身の問題に直接結びついており、又、密接に身体の免疫力や、自律的に働く神経や、多くのホルモンにも関係しているのです。

頭推按は、インドにおいてはヘッドマッサージとして、アーユルヴェーダで伝承されていますが、中国においては、道教の内丹術を修行したものが、他のものにその良い影響を伝えていく外丹術として伝承されました。

民間にでて、ほとんどは按摩などに融合され、いつの間にか民間においては、頭推按は、単なる頭部マッサージ程度に変化して、重要視されなくなりました。

人間は指先から遠赤外線が出ていることはもう既に当たり前に知られていますが、その遠赤外線で脳血流の変化が読み取れるのは、今回の科学的な発表のような機械だけではありません。

太極拳を修行し、四隅手を極めると、指先の感覚は、自分の体全体の感覚と同じように感じることができるようになります。

そして、その感覚が、自分で今まで感じたことのある、心理的なものや、感覚的なものと呼応して、その対象者の状態が見えてきます。

そして、その時には、どのような変化をしていくと状態が良くなるのか、又悪くなるのかも経験で知っていますから、そのように脳内の血流を整えて行くには、今度は、末端の指先まで自らの統合的な勢(丹田発)を伝えていけばいいわけで、その勢は対象者の経穴から脳内に変化を与えていきます。

頭推按は、自らの指先にある「光トポグラフィー」によって、対象者の脳の状態を知り、そして、自らの内丹にフィードバックして、その内丹の勢を指先にまで伝えて、その状態を変化させていく気功技術です。

真の太極拳の套路で、いつもその循環(四隅手)を修行していると、必ず見えてくる世界なのです。

 

 

無為自然。

してはいけないとこともないし、してはいけないこともないこともない。

無は有でないから無というなら、無は有でないという性質を帯びているから有である。

何もないという無を認識するには、有るという認識が必要である。有ることがないと言うことで無になる。いつまでたっても無は無にならない。

もし完全なる無が理解できれば、無為自然は理解できる。

内家拳には無極という思想がある。これはとても使える、フィードバック。

私には完全なる無という概念がある。理論と言ってもいい。

あるキリスト教の勉強会に参加した。

私は、キリスト教徒ではないが、いつものとおり思ったことを口にした。

無は神が作ったという言葉に対して、無とはなんですかとの問い。

無は無だとの答えであった。

無は無であるという時点で、無という概念で停止します。

無は相対性を帯びます。無を意識を持って説明すると、有があるから無があると言うことです。

絶対的な無は存在します。絶対性が身につくと、そこを基点にして存在できます。

これが、分かると、あらゆる事が無為自然になり、あらゆる不安が無くなり、毎日が楽しくて仕方が無くなり、いつ死んでも悔いが無くなり、思ったことが思ったとおりになり、健康も若さも「正常」な人間の年齢や寿命どおりになります。

無為自然。とても簡単で、単純です。

瞑想太極拳や、執筆活動、社会活動を通じて多くの人に無為自然への誘いをしていきたいと考えています。

実践と理論

私の場合は理論よりも先に、幼い頃からの実経験での問題解決からの弁証法的内観による発見が先でした。

その時にはまだ知らない唯識論に説かれている四分が自分の中で動いていました。気づきませんが。

あらゆる事が全て問題解決と再創造に転換したのは、30才の頃の母の死が決定的だったでしょう。

その後、弁証された理解をもっての実生活による実践が、あまりにも今までと違ったとても軽いというか、スムーズで不安のない、喜びあふれる世界に変化したため、それを多くの人に伝えたくなり、客観的な弁証として精力的に多くの思想家や政治家、精神科医や心理学者、宗教家、学者などと会って、持ち前の率直さをもって討論しました。半ば仕事のようにです。

その実証を本などを読み、全てに通じる普遍性を探り、自分が発見した理解を検証していきました。本の内容はすんなり入ってくると言うよりも、「そのとおり」という感覚が主でした。すでに理解していることを言葉として表現することに役立ちました。

唯識論や般若心経、形而上学、哲学、心理学、大脳生理学、太極拳論その他もろもろと私の経験による発見と普遍性の通じるところでした。

今は、理論は全て人間の存在のという本体からの作用と考えています。

多くの人の人間の存在の中にある本質を見つけ出すことを、普遍的な楽しみとして、見つけ出した人と共有し実社会に役立てていくことを出来るはずだと思っています。